「フジヤマ ゲイシャ スキヤキ」という言葉があります。

これは外国人が知っている日本語だそうです

外国でも有名な「フジヤマ」、日本のシンボルともいえる富士山について、あなたはどれだけのことを知っていますか。 

富士山が日本一高い山であることはご存じでしょう。

でも、「その高さは?」と聞かれるとどうでしょうか。

また、そもそもその高さはどこを基準として高さなのか知っているでしょうか。

そして、その高さはどうやって測ったのかを知っていますか。 

 

今回は、「富士山の高さ」にまつわるお話です

外国人と話す機会があったときの、話題の一つとして知っていて損はないはずです。 

 

 

 

 

富士山の歴史

宝永の噴火

富士山は、静岡県と山梨県にまたがる活火山です。

活火山、すなわち現在も活動している火山であり、今後も噴火の可能性を秘めた山だといえます。 

 

最も新しい噴火は、「宝永の噴火」と呼ばれるもので、江戸時代、西暦1707年12月16日に起きました。

五代将軍綱吉の治世の終盤あたりで、元禄文化が栄えた頃です。

富士山の南東の斜面で、爆音とともに噴煙が立ち上り、その噴煙はおよそ2万メートルに達したと考えられています。

噴火は大晦日12月31日までの2週間以上にわたって続きました。(旧暦では11月23日から12月8日まで) 

マグマはさほど流出せず、火災の発生件数は少なめでしたが、距離にして100㎞離れた江戸でも長く降灰(こうかい)が続き、江戸においても2~4㎝の火山灰が積もったという記録があります。

現在の富士山の横腹にぽっかりと空いている大きな穴が宝永火口であり、「宝永の噴火」の規模の大きさ、その被害の甚大さがそこから推し量れます。 

 

 

富士山の誕生  

活火山である富士山の現在の形は、このような噴火を繰り返すことで形成されました。 

今から300万年前、現在の富士山とその周辺一帯は、太平洋の海の底にありました。

そこに愛鷹火山(あしたかかざん)と小御岳火山(こみたけかざん)の二つの活発な噴火活動により陸地が誕生します。

そして、約10万年前に、この二つの山に挟まれた地で激しい火山活動を開始したのが、現在の富士山の土台となる古富士火山です。

古富士火山の噴火により流れ出た溶岩流や火山灰は、火山活動を停止した愛鷹山と小御岳山にせき止められることで、上へ上へと高さを増していきます。 

そして、約1万年前に山頂の火口が西側に移動し、現在の富士山の頂上となるもう一つの峰が形作られます

新富士火山の活動の開始です。

新富士火山の噴火は静かであったため、山の形を壊すこともなく、徐々に高度をあげ、現在の形となりました。

1707年の宝永の噴火に至る1万年ほどの間に100回を超す噴火が繰り返されたと考えられています。 

なお、新富士山の活動が開始された時期は縄文時代の初期に相当し、縄文人が見た富士山は二つの頂をもつ、ツインピークでした。

また、富士山のふもとにある富士五湖は、繰り返す噴火により流れ出た溶岩流が大きな湖をせき止めることで誕生しました。 

 

富士山の高さ 

現在2021年)富士山の公式高さは3775.51mです。 

この数字、日本唯一の国家地図作成機関であり、国土交通省の特別機関である「国土地理院」が、平成26年(2014年)4月1日付で定めた富士山の高さです。

それ以前、富士山の高さは3775.63mでした。

さらに、明治20年(1887年)から大正15年(1926年)までの約40年間、富士山の高さは778mだとされていました。 

 

 江戸時代

富士山の高さをめぐって、どのようなことがあったのでしょうか。それ見ていきましょう。 

江戸時代の1803年(享和3)、全国を徒歩で歩き、日本地図を作った伊能忠敬は、車輪の回転数で距離を測ることができる「量程車」や歩測を使って、地上での距離と方位、見上げた角度から、富士山の高さを3927.7mと計算しました。 

同じく、江戸時代の1828年(文政11)、オランダ人医師でもあり自然学学者、博物学者としての顔を持っていたシーボルトは、気圧高度計という高度と気圧の変化の原理を応用した道具を使って、富士山の高さを3794.5mと割り出しました。(シーボルトの測量年次と方法については諸説あります。) 

 

明治時代

明治になり、土地の高さを測るための基準が設けられました。

明治6年1873年)から6年間かけて測った東京湾の平均海面を基準(0m)とし、そこからの高さを「標高」名付け、高さの基準を統一したのです。

ですから、日本全国の山の標高はすべて東京湾の平均海面から測った高さということになります 

明治政府による測量事業が進む中、明治20年(1887年)、陸軍参謀本部陸地測量部(国土地理院の前身)が、富士山の「剣ヶ峰」の標高を3778mと算出しました。

この調査結果により、大正15年(1926年)の測量まで、3778m(現在より2m高い値)が富士山の高さとして知られるようになったのです。 

 

大正時代

そして、関東大震災(大正12年、1923年)により大地が変動し、これまでの測量データが復興計画等の測量に使用できなく大正15年(1926年)に富士山の測量のやり直しがされました

の際、測量の目印となる石(これを三角点といいます)を剣峰に設置し、その三角点の標高が3775.63mだったのです

この数字が長らく富士山の公式な標高となりました。

富士山の標高が2m低くなったのは関東大震災によるものだという説がありますが、真偽のほどは定かではありません。 

 

平成

さて、大正15年(1926年)以来、3775.63mとされていた富士山の標高が、平成26年(2014年)に3775.51mになりました。

それは、富士山の高さが変わったであるとか、測量をやり直したというのではなく、三角点(標高の目印)の標高成果改訂がなされたためです。ミリ単位での測量が可能である水準測量の数値に整合したものとするために、全国の三角点約10万点についての標高成果が改訂されたのです。 

 

 

以上、剣が峰に設置した三角点の標高3775.51mが、現在の、富士山の公式な高さです。

実はその三角点の位置から北へ約12mのところにある岩が三角点より0.61m高いので、富士山の最高地点は3776.12mです。

また、平成14年(2002年)に富士山に設置された電子基準点(GPSを利用して位置を正確に連続して測定するための基準点)が約3mあり、その標高が3777.5mです。

しかし、公式な富士山の標高についての見解は変わっていません。 

富士山の高さは3776m。

その覚え方は「皆(37)成ろう(76)」です。

これは「皆、日本一の富士山のような立派な人間になろう」という、前向きな意味が込められています。 

高さの調べ方 

富士山などの山の高さはどうやって測ったのでしょうか。 

高さを測るための基準は、先ほども述べましたように、東京湾の平均海面が基準(標高0m)です。それを地上に固定するために設置されたのが日本水準原点です。

明治24年(1891年)に国会議事堂そばに標高24.500mとなるように、日本水準原点が設置されました。

そして、日本水準原点を出発点として、全国のおもな国道や県道などに約2kmごとに置かれているのが水準点です。

現在、約17000点あり、それぞれ高さが正確に分かっています 

高さを測る目印としておかれ角柱の石が三角点です。

これを山頂の見晴らしのよい場所に設置します。

この三角点と山のふもとにある水準点を結んだ辺を斜辺とした直角三角形を作ります。 

三角形は1辺の長さとその両端の角度が分かれば、残る2辺の長さが決まりますので、底辺の距離を経度と緯度から求め、機器を使って、水準点から三角点を仰ぎ見た角度を測定し、山の高さを計算しました

この測量の方法を「三角測量」といいます。 

 

なお、昭和40年(1965年)ごろからは、光を利用して距離測れるようになりましたので、水準点から三角点までの斜辺の距離を測り、距離の分かっている底辺とその斜辺との角度を測定することで、直接高さを求めるようになりました。

さらに、最近では人工衛星の電波を受信して高さを求める「全急速位衛星システム」(GNSS)が使われています。

GNSSから電波を受信する「電子基準点」は全国約1300ヶ所に置かれ、日本一高い基準点が「電子基準点富士山」です。 

 

まとめ 

富士山誕生の歴史と、測量法の進歩とともに変化してきた富士山の高さについて書かせていただきました。

日本の象徴ともいえる富士山について、少しは詳しくなっていただけたでしょうか。 

 

「縄文人の見た富士山は2つの頂がある火山だった」 

「富士山の最高地点は、三角点の北12mの岩で、富士山の標高より0.61m高い」 

「山の高さは東京湾の平均海面を基準としている」 

など、ちょっとした雑学として、話のネタになるのではないでしょうか。 

また、学校で習う「三角形の性質」を利用して、山の高さを測っていると述べました。

学校で習うことが実社会で生かされていることを知り、学ぶことの意義を少しでも感じていただけたら、幸いです。 

そして、ぜひ、今回覚えてほしいのは「富士山の標高が3776m」で、覚え方は「皆(37)成ろう(76)」ということです。

皆さんも日本一の富士山のように立派な人間を目指しましょう。 

 

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