覚えてるかな?「徒然草」の冒頭
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こんにちは!オンライン家庭教師WAMです(^^)/

 

さっそくですが、枕草子、方丈記に並ぶ日本の三大随筆に数えられるのが「徒然草」です。

中学や高校の国語の授業で頻繁にとり上げられ、大体において文章自体が長くはなくて気楽に読めるため、慣れ親しんでいる方も多いことでしょう。

「つれづれ」とは意味がわかりにくいですが、要するに「やりたいことが何もない状態」であると考えて問題ないでしょう。

ちなみに徒然草の英訳は「Essays in Idleness」でこちらのほうが端的でわかりやすいですね。

 

 

兼好法師と徒然草

さて、作者の兼好法師の本名は、「卜部兼好」と言い、(通説によると)代々神祇官や太政官として奉仕してきた吉田神社の家系であり名門貴族の生まれでした。

ちなみに卜部氏とは卜占(占い)による吉凶判断を業としていた古代貴族の一つでした。

 

兼好は幼い時より聡明であり、感性にも洞察力にも優れた青年として成長しました。

20代の頃は、宮廷を中心とする貴族社会圏に常時出入りするようになり相応の官位も授けられ、一見すると順風満帆な生活を送っているように見えました。

しかしながら、理由はよくわかっていませんが、30歳前後のときに、突如出家遁世してしまいます。

 

当時、貴族が出家をすることは多かったようで、そういった貴族文化を全的に身につけた者たちが、和歌、日記、随筆といったジャンルで隠者文学というものを紡いでいきました。

兼好の徒然草も、西行の山家集や鴨長明の方丈記と並んで、隠者文学の系統に連なるものでした。

 

徒然草そのものは執筆後およそ百年間、あまり注目はされなかったようですが、江戸時代になると多くの注釈書が書かれるようになり、突然のリバイバルが始まりました。

とりわけ、その話の中の教訓は町人などにも親しみやすく、身近な文学書として愛読され、江戸期の文化に多大な影響を及ぼしたようです。

結果として徒然草は古典となり、文学史上の位置が確定しました。

 

 

冒頭文

では、おなじみの冒頭部分を書き出してみましょう。

 

「つれづれなるままに、ひぐらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。」

 

現代語訳も次のとおりです。

「孤独にあるのにまかせて、一日中、硯に向かって心中に浮かんでは消える他愛のない事柄を、とりとめもなく書きつけてみると、妙に妖しくおかしな気分になってくる。」

 

英訳してみるとどうなるでしょうか。

著名なドナルド・キーン氏の英訳ですと下記のようになっています。

 

What a strange, demented feeling it gives me when I realize I have spent whole days before this inkstone, with nothing better to do, jotting down at random whatever nonsensical thoughts that have entered my head.

 

「Essays in Idleness: The Tsurezuregusa of Kenko,  Translated by Donald Keene」

 

簡単に解読しておきましょう。

Whatで始まる感嘆文ですが、dementedは「気が変な」というような意味でinsaneなどと同義語です。

少し訳しにくいのは、with nothing better to doですが、直訳すると「他にやるべきことが何もない状態」ということでそのまま題名のin idlenessに相当すると考えてよいでしょう。

その後ろのjotting downは付帯の分詞構文ですが、見慣れないjotは「メモする」くらいの意味で、jot downでちょっとメモするという意味になります。

 

 

徒然草の世界観

徒然草はその表題どおり、とりとめのない日々の断想を書き連ねたものであり、思想や世界観といったものをことさら取り上げるべきものではないかもしれません。

思わずにやりとするような共感する文章はあるものの、生きていく上での道標や意義を求めることもできないかもしれません。

日本の古典は、総じて思想や論理性が欠落しており、内容が趣味的で若者向きではないという点が指摘され、その顕著な例として徒然草が筆頭にあげられてきました。

 

しかしながら、兼好が生きた頃にクローズアップしてみると、長い平安期からようやく鎌倉に政権が委譲され、動乱の南北朝へと(少なくとも当時の貴族や武士にとっては)価値基準が次々に変遷する時代でした。

したがって、徒然草の中にときどき見受けられる一貫性のなさは多分に時代を反映したものであり、その変貌に右往左往しながら苦心する兼好の姿が浮かびあがってくるように思います。

 

 

中学校の古典授業

 

 

ここで、簡単に中学での徒然草の授業について触れておきましょう。

竹取物語や枕草子と並んで中学の古典の授業で取り上げられる徒然草ですが、教科書で決まって取り上げられるのは相も変わらず「仁和寺にある法師、年寄るまで、石淸水を拝まざりければ、・・・」でしょう。

公立中学の指導要領では「古典作品に親しむ」程度のことが狙いとされており、古典の授業そのものが中途半端な取り扱われ方かと思われます。

 

音読や簡単な内容理解が中心であり、限られた時間であらゆる中学生に古典の世界(の一端)を理解させようとする教師側の苦労も並大抵のものではないでしょう。

ただ、(公立中では)扱われる作品の量が僅少で、高校に入り早々に挫折して(英語や数学の時間に割かれるためもあり)、大学入試の際にギブアップする生徒が多いのもこの科目の特徴ではないでしょうか。

 

 

まとめ

さて、いろいろとりとめのない思いついたことを書き連ねてきましたが、久々に徒然草を読んでみようと思いました。

中高時代も今も日本の古典作品にあまり興味をもったことはないのですが、定評のある橋本治さんの「絵本 徒然草」を取り寄せてみるつもりです。

古典嫌いの方は、こういった作品からアプローチしてみるのもいいかと思います。

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